2019年3月25日月曜日

第一回 午前の部【多様な人を受け入れることができる場づくりに必要なことは】



3月17日に第一回「みんなの道徳*対話の時間」を開催いたしました。
ご参加いただいた皆様、心からありがとうございます。

その時の流れや、対話の感想をお伝えしたいと思います。

※対話の感想は個人が特定されない内容に限定しております。
※私(大島)個人の感想であり語彙力もないので、話の内容や言い回しが正確でないかもしれません。参加者の方で補足や訂正などあればコメントいただけると嬉しいです。

今回の記事は午前の部の感想です。


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■全体の流れ

10:00〜
・この会についての説明

10:02〜
・チェックイン
 ①呼ばれたい名前
 ②住まい
 ③今の気持ち
 ④好きな時間

10:22〜
・3つの約束の説明
 ①何でも話してOK
 ②相手の話を聞くときは否定しない
 ③聞くだけの参加もOK
・コミュニティボールの説明

10:25〜
・対話のテーマ決め
 前半/多様な人を受け入れることができる場づくりに必要なことは

10:35〜
・対話

11:50〜
・全体で振り返り

12:00
 終了

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■対話の感想

テーマ【多用な人を受け入れることができる場づくりに必要なことは】


●印象に残った話

・「多様な人」という言葉からどのような人を連想するかは人によって異なる。(ハンディキャップを背負った人、様々な人種、様々な年齢など)

・『受け入れる』という表現に違和感を感じる、『受け入れる』という言葉より、『共存』という言葉の方を使いたい。

・母子の外出時に人目を気にして、不本意に子どもの自由を奪ってしまう時がある。それは過去、他者の何気ない一言に深く傷ついた経験があるからで、だからこそ周りの人の暖かい言葉に救われることもある。しかし他の母親に対しては、考えすぎて声をかけれず後で後悔してしまう。

・「あなたはここにいてもいいんだよ」と伝わると安心してそこにいることができる。
 しかし、声かけが多いと窮屈に感じてしまう。そんなとき、言葉以外でも表情や眼差しでそれを伝えることができる。また、見ない、気にしないという態度が助かるときもある。
 その根底に「あなたはここにいてもいいんだよ」という暖かい気持ちを持っていることが大切。

・子連れでも参加できる場所は「私たちの対話の時間」にとっても課題。

・子連れで来た方々に、いくら優しい言葉や眼差しを送ったとしても、やはり子どもがいると落ち着かない。人の子には寛容になれるけど、自分の子はどうしても気になってしまう。

・子どもも参加できる場所にしたいと思う一方で、あまりにも賑やかすぎると、考えや言葉が遮られ、対話の場自体が成り立たなくなってしまうのではないかという葛藤がある。

・日本人は「他人に迷惑をかけてはいけない」と育てられた人が多いと感じる。その周りの目を気にする国民性が窮屈に感じることもあるが、それが日本の良さでもある。


●大島の感想

『受け入れる』という言葉を『共存』という言葉に言い換えたい、というお話を聞いたときとても感動しました。
その後に、「子育てで地域の人の目を気にして、息苦しく感じるときがある」というようなお話が続いたのですが、そこにも「受け入れてもらっている」という感覚があるから苦しいのかもしれません。どんな人も「いてあたりまえ」と周りの人に思ってもらえたら素敵です。しかしそれは何でも自由にしていいという事ではないのか、この問題の難しいところだと思います。
また、日本人の「他人に迷惑をかけてはいけない」という周りの目を気にしすぎる国民性について、それは窮屈でもあるが日本の良さでもあると気づかせてもらい、この性質を否定するのではなく、ポジティブにとらえバランスをとっていけたらいいのかもしれないと思いました。
このテーマはこの会でもとても重要なテーマで、具体的な方法や場のイメージまでは話が及ばなかったのですが、これからも対話や実践を通して模索していきたいです。


以上、午前の部の感想でした。


午後の部の感想は次の記事でお伝えします。
午後の部のテーマは【日常の中で対話をするために必要なことは】です。

次回もよろしくお願いします。

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